ロゴについて

私たちのロゴマークは、その後の鮭文化の発展に世界的に大きな影響与えた「青砥武平治」をモチーフに作られました。

 

 

【 青砥武平治(1713-1788) 】

 

ここ村上市において、とりわけ鮭文化が発展したのは、江戸時代を生きた村上藩士「青砥武平治(あおとぶへいじ)」なくして語れないだろう。

 

村上本町教育会編「村上郷土史」によると、「青砥武平治、名は綱義、世々村上藩に仕ふ。武平治少うして群吏となり、累進して三條代官に任ぜられて俸四人口を食む。後加増して七十石と為り、晩年選ばれて衛士となる。而して更に十石を加えらる。材幹ありて機智に富み、常に意を国利に致せり。三面川鮭漁を産す。藩主之を蕃殖せんと欲すれども川傍岩澤新保諸村の村民旧志に依りて證をなし、独り其利を擅にして其意を達すること能はず。明和八年岩澤新保諸村の民、村上の民と其漁場の境界を争ひ、遂に幕府に訴ふ。武平治頗る力を致し、村上の民をして勝を得せしめたり。是に至り、新に其境に標榜を建てゝ御境と云ふ。此れより漁場の制漸く定まる。後藩主綜理公(6代藩主内藤信敦)、種川を設けて鮭魚を蕃殖する法を定む。武平治の施設せる所與りて力ありと云ふ。武平治諸技に通ず。軍学及び検盤術を学び、其奥義を極む。従い学ぶ者多し。…」とある。

 

村上藩では、元文元年、鮭の運上金が過去最低の5両となり、元文3年(1738)には入札停止、以下5年間は漁を止めるまでになった。下級武士ではあるが、有能な官吏であった青砥武平治は、鮭が沢山卵を産めば自然と鮭が多く獲れるようになるはず、と考え、卵を産みやすい川の環境整備の着想を思い立ち、建議したと言われる。それは、小石を敷き詰めた川底の普請工事、領内上流に密柵を建てまわし鮭の遡上を留め、下流も下らないように密柵で締め切る方法であった。この方法は次第に効果が現れ増加していった。

 

武平治は、測量術(清水流規矩術)の免許皆伝者でもあり、川の造成工事に関しては極めて高い技術を持ちながら後継者育成に尽力したことから、武平治亡き後も造成工事が適切に行われ、宝暦13年(1763)の工事開始には313両であった鮭の運上金は、慶応元年には2,787両にもなるなど、村上藩の財政を潤した。この鮭の自然ふ化増殖の成功は、世界でも類をみない。

 

また、青砥武平治の功績は、山形県でも発見される。

 

平成16年(2004)に、山形県鶴岡市の郷土資料館に青砥武平治が三面川の鮭の増殖をはかる種川の仕法を考えた、と記載された「宇治家文書」があることが分かった。その中の庄内藩の宇治勘助が、寛政9年(1797)庄内藩に差し出した上申書によると、越後国村上ご領分内に下戸川という川があります。

 

鮭漁が毎年繁盛していますが、その仕組みをお聞ききしましたので申し上げます。

 

右の川の運上金は五十年ばかり前は十七両二分で、請負人も損をしておりましたところ、青砥武平治という役人の工夫で、御止川としましたところ追々鮭が沢山捕れるようになりまして、三十年前に三四十両位の運上金になり、いよいよ沢山捕れるようになったそうです。右を種川と云います。わけは川はいずれも石の川で、鮭が卵を産む川瀬を想定して、川幅三分の一、長さ三十間か五十間ほどの場所に杭を打ち、柴や藤蔓で囲いおき、川下は鮭が入れるように開けておき、その川を種川といい、番人をつけておきます。春三月に鮭の子が下る時節には、殺生をかたく禁じ、益々鮭が沢山捕れるようになりました。昔より言い伝えられるように生まれた川に戻るようで、荒川の鮭とは形が違うそうです。このやり方の効果で、十四五年以来、上ってくる鮭は莫大な量で、年々の運上金はせりあがり、去年は千三百両に、今年は千六百両の落札にもなると聞いています。御為第一の川と言っております。

 

越後の種川のことは以前より聞いておりましたので、手紙でも知り、村上領の者三四人からも直接話を聞きましたところ、前述のとおり詳しく話をし、川絵図も描いてくれました。これによって甚だ失礼かと思いますが、この種川の仕法を真似て、最上川赤川で鮭漁をしている者へ言いつけて三四年も試してみればこれまでよりも年々沢山捕れることになれば有益なことでございます。聞いてきました種川の仕法の口上書を差し上げます。」とある。

 

翌寛政10年、村上に人を派遣し、三面川の種川制の調査を行った。報告書が残されている。青砥武平治が死去してから十年後のことだ。庄内藩は、文化3年(1806)遊佐町庄屋に命じて、月光川系の竜淵川と牛渡川を種川として、鮭の天然産卵を図った。それ以後、今でも月光川は鮭の川として有名である。

 

「常に意を国利に致せり」。江戸時代、お国のため、村上藩のために尽力を注いだ青砥武平治。類いまれなその才能は庄内藩をも突き動かした。青砥武平治のとった政策は、後の明治の人工ふ化事業、鮭の子政策にも影響を及ぼしている。

 

参考文献:「村上郷土史」村上本町教育会編

              「村上歴史講座 村上藩物語」松山勝彦著

              「三面川の鮭のはなし」鈴木鉀三著